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お客様からの声

すっかりリラックスしてしまいました。

今の私には、将来についていろいろと考える事があって、気持ちが不安になったり頭がいっぱいになったりするけれど、焦らないでゆっくり決めていきたいと思います。

二人と話せたり遊んだりすることは、いつも私にとって大きな力になっています。

いい考えが出そうな気がします。本当に感謝感謝です!!


「痛み・苦しみ」の源を外側の世界に見て、世界を変えなければ!と力んでいたことだろう。

ジェームズさんのカウンセリングを初めて受けたのは2月の終わりだった。身体・精神両面にわたって危機に瀕していたというわけではない。むしろ危機を脱してようやく前向きに歩き出したところだった。これから新しい人生を歩いて行こうとしている私自身のコンディションを、より良く整えたいという想いからだった。

にもかかわらず、私の内に起こった変化は劇的なものだった。

あまりにも大きくて深い変化であるため、それを言葉にすることは躊躇いさえ感じられる。身体・感情・思考・スピリチュアルな全レベルにわたって、いまこの瞬間の質の変化を感じている。

もしこのカウンセリングを受けていなかったら・・・という想像をすることは意味がないのだが、あえて試みてみれば、私は間違いなく、「自力」で立ち直ったということを自負しながら、「新しい人生」をいままでと変わらぬ努力で歩き、「私の人生」をもっと良くしようとがんばっていたに違いない。

それは素晴らしいことだ。けれども、新しくはない。続きである。

なぜなら、いままでと何も変わらぬ重荷を抱えたままだから。抱えていることにも気づかずにいたろうから。

「痛み・苦しみ」の源を相変わらず外側の世界に見て、世界を変えなければ!と力んでいたことだろう。


変化は大きくて深く、本質的なものである。

初めは大波にさらわれる様な気がした。けれどもいまでは、この瞬間に本当に心地よく存在を委ねているという感じで、胸の辺りに手を当ててみると、何もない。「空だろう?」とジェームズさんが言うとおりなのだ。何がどう変わったのかを思い出すことさえ難しいほどだ。言葉に表現できることは、ほんのほんの一部にすぎないけれど、こんな風に表現できるだろうか。

身体的変化

身体が楽である。

相変わらず肩も凝るし、背中も腰も痛くなる。でも中心は柔らかく温かい。凝りは表面的なものであることが感じられる。これがすごいと思う。 以前は凝りの芯部が身体の内側深くにあって、いくらほぐしてもすぐ元に戻ってしまう感じだった。

呼吸の意識化がしやすくなった。呼吸が浅く、身体に緊張があるとき、それをすぐに意識できるようになった。こういうときはゆっくりと深い呼吸をして、緊張をほどいたり、伴っている感情を吟味したりすることによって、その場で自分を楽にすることが可能になってきた。

バランス感覚が良くなった。足元をしっかり感じて立ったり歩いたり、身体が地球に落ち着いて乗っている感じ。苦手だった立ち木のポーズもできるようになった。簡単なボディワークをいくつか教えてもらうのだが、これがとても良い。ジェームズさんが、いまの私に必要な変化を促すために役に立つ動きを的確に選んでくれているのがよくわかる。

感情・思考の変化

落ち着いている。

感情が波立ったときに、それをやわらかく受けとめるようなスペースが内側にできたことを感じている。強い感情が起こったときには、それをしっかりと所有して自然に解放させるという方法を知った。また、それをサポートしてくれる仲間を持ったことで、大きな安心感を得ている。

人混みが怖くなくなった。

私は身体に障害がある。以前は、混んだ場所を歩くときは大変に緊張して、人にぶつかることが恐ろしくてたまらなかった。実際、怪我をしそうになることも多かったし、大勢の人を見ただけで「闘わなければ!」というような感情に襲われていた。いまはゆっくりと歩いてもいらいらしないし、ゆったりとかまえている。時々失敗して怪我もするのだが、それに腹が立たない自分に驚くほどである。

ぽかんと何も考えていないときが増えた。この感じ、まるで深い瞑想ができたときのようだと不思議になる。

スピリチュアルな変化

「人間が嫌いだ。人間は恐ろしい。人間は救われない。」という感情が、遠く過去のものになった。一体、どこへ消えてしまったのだろう?

人が私を襲ってくる!という恐れを常に抱いていたことは、この恐れを手放して初めて気がついたことだった。ぼんやりとはわかっていたのだが、それはあまりに深いところにあって私を動かしていたものだったので、はっきりと意識化することさえできなかったのだ。

これは最も深くて大きな変化の一つだろう。知っている人知らない人によってたかっていじめられるという夢をぱったりとみなくなってしまった。うれしい。

幼い頃の痛みと和解した。両親・家族への感情と和解した。真の「Compassion」を知った。その中で、私は泣いて泣いて、泣いて泣いた。「赦すこと・赦されていること」を了解した。とてつもない変化はここからやって来たとも言える。


いまは生きていることが楽しい。

生きてゆくことが嬉しくてたまらない。やりたいことがはっきりと観える。私はいま、ビジョンを生きている。

癒されたのは私だけだろうか?否。痛みが「私のもの」ではないように、癒しも私のものではない。変化は私という個人をはるかに超えて、つながりの中に、関係性のなかに姿を見せている。

合掌。